《Interview》有限会社重久盛一酢醸造場 代表取締役 重久雅志さん

Wholefood Interview

有限会社重久盛一酢醸造場 代表取締役

重久雅志さん

− 温故知新の黒酢の生産者 −

 

| 重久盛一酢醸造場の歴史 | 

昭和39年、重久盛一商店設立
昭和47年、鹿児島国体にて天皇・皇后両陛下行幸啓のおり、弊社黒酢を天覧目録12番として出品
昭和58年、有限会社重久盛一酢醸造場設立
平成5年、JAS認定工場取得
令和2年、製造、製品特許【特許第6784359号】かつお節発酵酢及びその製造方法にて取得:商品名『旨だし酢極』にて販売

https://www.shigehisa-masashi.jp/

私は、5年程前、鹿児島県霧島市福山町の重久盛一酢醸造場を訪ねました。

教室の卒業生たちと鹿児島の生産者ツアーとして大手黒酢メーカーを訪問。残念ながら、甕つぼの並ぶエリアへは、近寄れず、遠くから甕つぼを眺めるだけでした。黒酢の製造を知りたかった私たちは、不完全燃焼。

「もう一軒行こう」ということになり、福山町で選んだのが今回の主人公である重久盛一酢醸造場でした。

 

福山町は、地理的G I 制度(地理的表示保護制度)にも認定されている黒酢の聖地です。

重久盛一酢醸造場の甕畑(かめばたけ)は、正面には桜島の噴煙が見え、町内でも最も高台にありました。

甕畑(かめばたけ)責任者である坂元さんが案内してくださることになりました。

甕の蓋をあけると、そこには発酵の世界が広がっていました。生まれて初めてみる黒酢の発酵現場は、衝撃でした。

なぜなら、酢というものは、「お酒」から作るのが定説。それなのに、ここは、酒を仕込まず、甕のなかに、原材料である玄米と黄麹と水をいれて蓋をします。福山町の温暖な四季の自然の中で玄米と麹が黒酢に変化していくこの地方独特の製法なのです。

そして、まさに仕込みが、ホールフードそのもの。原材料の栄養をまるごと余すところなく使い、壷は、200年間ずっとリサイクルして使用されています。

それまで、学問としては黒酢の製法は知っていたもの、やはり、現場に行かないと真実を語れないと感じました。

こうして、甕壷造りへの関心から、重久雅志さんとの交流がはじまったのでした。

重久盛一酢醸造所の創業は、1805年江戸時代にさかのぼります。

当時、島津藩は江戸への参勤交代の負担が増え、その資金稼ぎのために、中国からお酢の製法を持ち帰り、黒酢造りをはじめました。そこから、重久家は今日まで黒酢を仕込み続けています。

雅志さんは5代目となり、家業を継ぐ覚悟を感じながら、小さい頃から黒酢の香りの中で育っていきました。

しかし、後継者の雅志さんには、生まれながらの問題がありました。それは、「酢が苦手」ということでした。

故郷を離れ、東京の大学へ進学。卒業後は一般企業に勤めたもの、2007年福山町に戻り、仕込みの現場に入りました。

29歳の雅志さんは苦手な酢を仕込む製造現場で修行の日々が続きました。

鹿児島といえば、芋焼酎。めっぽう酒の強い雅志さんは、ついに人間ドックで肝臓のγ―gtp数値がE判定(A~E判定)と診断されました。

焼酎を止めるかと思いきや、黒酢が健康に良いということは小さい頃から感じてきたので、「よし、焼酎に黒酢をいれて飲めばいい」それからは、焼酎に黒酢をいれて飲むという治療法に切り替えた雅志さん、すると1年後には正常値に戻りました。

「発酵食品である黒酢すごい!」「黒酢は健康にいいんだ!」と身をもって黒酢パワーを体験したことが黒酢の営業の大きなきっかけとなりました。

「きっと自分と同じような人はいるはず、もっと使いやすい酢を、飲みやすい酢を作ろうと思うようになりましたね」

こうして5代目の雅志さんは、重久盛一酢醸造場に新しい風を吹き込みました。

伝統的な黒酢の製法を守りながら、そのノウハウを今のライフスタイルや消費者のニーズに合わせようという試みは、商品開発の場に反映されました。

平成27年に、田七人参を甕の中に入れて、米麹、地下水と一緒にいれて発酵させ、機能性に富む発酵酢を完成。翌年、無農薬りんごを甕に入れて発酵させ、りんご甕酢の成功。そこからは、女性をターゲットに、ざくろ、ぶどう、いちご等次々にヒット商品化していきました。

平成27年、甕造り黒酢がGI制度7号として認定され、地元への愛情も加速していきました。

平成30年、鹿児島といえば、枕崎の鰹節です。鰹節と露天甕壺醸造法とのコラボ。ついに、甕のなかに、鰹節をいれて「旨だし酢極」というヒット商品を生み出しました。黒酢の旨味とかつお節の旨味のダブルアミノ酸が醸す独特の黒酢は、米酢と比較してアミノ酸量が約23倍という高さです。

これこそが、雅志さんが目指す「酸っぱくない食べやすい発酵酢」を商品化したものでした。

ホールフードスクールでは、定期的に雅志さんとの黒酢講座をオンラインで開催してまいりました。

雅志さんはコロナ禍においても、営業活動にブレーキをかけることはありませんでした。

それは、伝統製法の黒酢には、ウイルス対策であるNK細胞活性化、腸内環境を整える、基礎体温をあげる、血流をスムーズにすることが経験的にわかっていたからです。

雅志さんは、

「コロナ禍だからこそ、少しでも健康になってほしい」

「黒酢をはじめとする発酵酢がみなさんの健康の手助けになりたいと思いましたね」

と話されます。

上京後は、帰省した際には、家族と離れ、自宅で2週間待機という試練も乗り越えての1年半でした。

 

甕酢の製法は、発酵醸造の分野でも世界に誇れる日本の財産です。

しかし、福山町には、わずか8軒の蔵が残るのみとなりました。

鹿児島という自然環境と、桜島や霧島の火山灰で濾過された発酵を促すミネラル豊富な地下水、どれがかけても美味しい黒酢はできません。最近では、その地下水はシリカを豊富に含むこともわかってきました。

雅志さんは、この伝統製法を未来まで残し、黒酢の魅力を発信していきたいと願っています。

伝統というプレシャーに負けず、常にトレンドや世のニーズを見て、毎回、臨機応変に講座を組み立てていく雅志社長の営業スタイルは、多くのホールフード協会の生産者の参考になるのではないかと感じています。

私たちは、ひと甕、オリジナルな黒酢を仕込んでみる夢をもっています。

眼下に桜島と不知火湾がひろがる黒酢畑にみなさんと訪ねる日を楽しみにしましょう。

 

文・タカコナカムラ