キングオブみりん 「角谷文治郎商店」

三河醸しツアー、毎年、お腹がパンクしそうになるほど試食試飲が楽しめる醸造蔵「角谷文治郎商店」を紹介します。
角谷利夫社長は、2人の娘さんのお父様でもあります。長女の文子さん、次女の治子さん。
それぞれのパートナーで、後継者不足のこの時代に4人のとびっきりの後継ぎがいらっしゃるだけで、もう胸が熱くなってしまいます。

毎回、原料米であるもち米を石臼でついた、つき立ての餅をいただき、工場へ誘導されます。
餅米を蒸し、米麹をふりかけ、焼酎といっしょにタンクへいれる。絞った後もさらにタンクで熟成する伝統的なみりん作りをされています。
蔵では、その焼酎も自家製というこだわり。
調味料好きの方も、みりんの原料をきちんと言える人は少ないように思う。

私がはじめて三河みりんを知ったのは、もう30年も前のこと。盟友の川崎の酒販店、片山雄介氏が横浜で伝説の自然食のイベントを開催された。そのときに、角谷社長が自らみりんの試飲をされ、みりんについて熱く語られていたように記憶している。
私は、それまでみりんや料理酒はなんでも良いと思っていた。

みりんを舐めたときの衝撃。
上品な甘さと口いっぱいに広がる米の風味。当時は、都内でも限られた高級店でないと三河みりんは置いてないような時代でした。

角谷さんははっぴを着て、どんなイベントにも自ら直接お客様へみりんの試飲や説明をされる姿勢は、ずっと変わることはなかった。
二人の娘さんは家業を継ぎ、お父様と一緒にイベントに二人三脚で歩かれてきた。
世の中には、姉妹のどっちかがグレていたり、とんちんかんなケースが多々ありますよね。
私も例外なく、しっかりものの姉と妹の間で、好き放題、京都の大学へ飛びでたっきり、家業も継がず、夢を求めて東京へ。
2人の娘さん、本当に、みりんを愛し、お父様を敬い、家業を次の世代へつなごうとされている。そのパートナーが、これまた、素敵な男性ふたり。
私は、この4人の成長をみながら、家業を3人の娘が誰も継がなかったことの親不孝をしみじみ悔いている。

戦後、何もないところから、小料理屋をはじめ、割烹にした母親。働きづめの両親だった。
苦労して育て、大学にやり、親のすねをかじりたいだけかじり、料理人と結婚した私ですら「割烹あすなろ」を継がず、結果、ついに廃業。
両親は、どれだけ寂しかったかと、角谷さん親子をみるたびに、目の奥がジーンと熱くなる。

二人の娘さんには、それぞれお子様が生まれ、角谷社長は、仕事中の厳しい表情からお孫さんを抱く姿、めったに見れません、優しいおじいちゃんの顔です。
三河の生産者の中でも、角谷社長は別格、背筋がピンと伸びる存在だと思う。
それは、30年、ブレることなく、色あせることなく、碧南のみりんの魅力を伝え続ける姿への尊敬の思いからだと思う。

角谷文次郎商店を表現するキーワード「米1升みりん1升」。
1升の米から1升のみりんを作るということだが、それは原料を惜しみなく使っている証でもある。
角谷さんは米作りをとても大切に考えられてきた。
米離れで米の消費量も激減している今、みりん屋として日本の米作りを応援したい、農業を応援したいと熱く語られてきた。

「みなさんは、米を商品としての価値しかみない」「味やブランドには関心がある」「米作りをすることで、田植えから黄金色の稲穂が実る田んぼの風景に、私たちはどれほど癒されているか・・・」
私は、角谷さんにこの一節を動画でも、実は、語ってほしかったのです。

世の中、発酵ブーム。発酵食品で免疫アップね!美容や健康に発酵食品で腸活しよう!
自分の健康のために発酵食を取る人はけっして悪いわけではありません。
でも、もう一歩踏み込んでみてほしい。みりんも醤油も味噌も、作ってくれる米や小麦の農家が継続していけないと、ホンモノは作りだせない。
農薬や化学肥料を使わずに栽培する農家を応援しなければ、三河みりんだってできないはずです。
ホールフードの魂の原点を教えてくださったのは、角谷社長であることをお伝えしなければ、三河醸しツアーははじまらない。
角谷文次郎商店4人の子供たちのいい笑顔がずっと続きますように。

◎三河醸しツアーはこちら

http://whole-food.jp/association/三河醸しツアー/