⦅interview⦆ 竹下和男(たけしたかずお)さん −100年後の日本を変える「弁当の日」−

巻頭インタビュー

「ホールフードなひと。」vol.30

竹下和男(たけしたかずお)さん

−100年後の日本を変える「弁当の日」−
弁当の日3
竹下和男(たけしたかずお)1949年生まれ、香川県綾南町(現綾川町)出身。香川大学教育学部を卒業後、県内の小中学校で教論や校長を務め、平成13年(2001年)当時の綾川町立滝宮小学校校長時に「弁当の日」をスタートして話題に。退職後にも講演や執筆活動を通じて「弁当の日」を提唱され続けている。
公式ウェブサイト:子どもが作る弁当の日 (bentounohi.co.jp)
来たる2022年12月17日(土)17時から、ホールフード協会協賛で「弁当の日」考案者で有名な竹下和男先生をお招きし、特別講演会が開催される。主催者であるタカコナカムラ曰く、「コロナ禍で延期が続いていたが、念願叶っての竹下先生ご本人をお招きした講演会です」とのこと。2001年から始まった竹下先生の「弁当の日」普及活動は、いまや全国で広がりをみせ、すでに実践校は47都道府県で約2400校。竹下先生の講演は、47都道府県で通算2500回を突破した(2022年度末調べ)。子どもたちの生きる力を引き出すと注目され続ける「弁当の日」の魅力は、一体どこにあるのだろうか。直接、竹下先生にインタビューさせていただいた。
弁当の日
以前、私自身「弁当の日」のドキュメンタリーを観させていただき、子どもたちが頑張っている姿に涙が止まらなくなった経験があります。2001年から、いまの食育活動の前身ともいえる「弁当の日」をスタートされたとのことですが、なぜ小学5.6年生の子どもたちに弁当を作らせることを思いつかれたのでしょうか? そもそも授業の一環ではなく、自宅で作らせることに重きを置かれた理由を教えてください。
当時、滝宮小学校の校長をしていた時に、給食のありがたさを通して、子どもたちの成長を促すことができないか考えていました。生きる基本となるのが「食」だからです。その中で、一番分かりやすいのは、食事の出来上がるまでの過程を子どもたちが体験すれば、教えなくても自分たちで気がつくだろうと。食材に対する「いただきます」という感謝の気持ち。料理を作ってくれた方への「ごちそうさま」という感謝の気持ちは、自ら経験を通して学んでいって欲しいと思ったのがきっかけです。
子供たちが、各家庭でお弁当を作ることによって、今まで作ってくれた親御さんへの感謝の気持ちまで育つと考えられたわけですね。
それもありますが、学校で作ると自分一人で作れるようになるのは難しいのです。なぜかというと、必要な材料は、すでに小分けにして用意されてしまうからです。献立を考えること、必要な材料を買い出しに行くこと、調理から弁当の詰め方まで。そのすべてを子どもたち一人一人に体験させることは、学校の授業ではできません。自分が担当していないことは分からないというのでは意味がないわけです。それなら、子どもが自宅で作るという場面を作ればいいと考えました。
弁当の日2
いまは子どもを競わせたらいけないという世の中の風潮があります。親御さんからの反対意見などが想像されますが、その辺りはどのように回避されたのでしょうか。
競争というのは、100%否定されるものではありません。むしろ競争があるからこそ、今の自分を超えたいという自らの成長への願いにつながります。それを大前提としたうえで、「弁当の日」は、成績に一切反映しないことにしました。出来上がった料理に一切、点数がつきません。学校の成績に全く評価されない環境の中で弁当を作ることで何が起きると思いますか? 結果的に子供たちは、「あの子より美味しそうな弁当を作りたい」「もっと料理が上手になりたい」という思いを感じながら育っていきます。学校の担任には、一番、大切なことは、「自立することだよ」ということを子どもたちに伝えてくださいとお願いしました。完成度の高さとか、食材の値段の高さというものは、一切関係ないということを教えることで、子どもたちはきちんと理解します。このように教育というものは、教師の力で対応することができるのです。
事前に教師が子供たちに弁当を作る目的は、「自立」であるということをしっかりと伝えた上で取り組ませるということなのですね。今まで点数制で育ってきた子供たちからすると、お弁当が上手な子という新しい位置づけで、お弁当ヒーローが誕生しそうですね。
はい、それが狙いでもあります。「弁当の日」は、5回セットというのを最初から伝えています。絶対に親が手伝ってはいけないというルールを設けているのですが、1番最初は、やはり親が手伝う。その背景には、親の調理技術がチェックされるとか、家庭の評価につながるんじゃないかとかね。私からしたら、余計な心配なんですよ。親が作ってくれたきれいな卵焼きより、子どもが一生懸命作ったぐちゃぐちゃな卵焼きの方が、自分で作ったということをアピールできるからいいんです。その頑張ったところを認めてあげるだけでいい。子どもたちのセールスポイントは、自分一人で作ったかどうかに変わっていきます。子どもたちは、自慢のポイントを話したくて朝8時前には弁当箱を開けてウロウロしていますよ。
なるほど。初めから親が手伝うであろうことを想定して、5回セットという告知をしているわけですね。
そうです。回数を重ねるごとに成長していけばいい。子どもはね、親や教師以上にポイントをつかんだ作り方を始めていきます。友達が作れる弁当を自分もできるようになりたいと思い始めます。そういう子ども同士の競争といいますか、成長し合っていくという場面は、私はあっていいと思っています。しかも、さっき言いましたように、まったく点数がつかない世界ですから。友達のいいところを自分にも取り入れていきたいと思うことは、人間としての正しい在り方です。人類の進化への大きな原動力になってくる。だから、友達の良くないところを責めてつぶしにかかるのではなくて、一緒に伸びていこうという意識を「弁当の日」ごとに、教室の中で盛り上げていくと、いつしか弁当の褒め合いっこになるんですよね。
いいですね。けなし合いではなくて、いいところを褒め合える関係性を子どもたちで作っていけるのは感慨深いです。
本当に一生懸命作った子ほど、いわゆる完成度が低い弁当を作ってきた子に対しても褒めてあげられるポイントを見つける力がつくんですよね。この子は、この部分を頑張っているなとか。
それは、子どもたちが自然に学んでいくポイントなのですか?
そうです。結局、子どもたちは自分って成績も悪いし、存在価値がないって思っていたけれども弁当を作れるということで自信がつくわけです。頑張ってお弁当を作っている子は、どこが大変だったのかが分かるので褒めることができます。あとは「弁当の日」は、家族の絆も深めていきます。例えばですね、卵焼きを作ったとしても弁当箱には、2切れ、3切れしか入りません。残りは、家族が食べるんですね。家族がそれを食べて、「ありがとう、美味しいよ」って言ってくれた時に「また作ってやるわ」っていう言い方をしながらね。だんだんと、卵焼きを作る回数が多くなってきて、そのうちに、親の方も賢くなってきて、「あんたは卵焼き係」っていって。お父ちゃんも「また、お前の卵焼き食べたいなぁ」とかね。そんな風に親たちが言ってくれたら子どもたちは、喜んで台所で作り始めます。そういう状況は、1番子どもたちにとって、心身共に健全に成長していく環境だと思っているんです。
そのうち、弁当は1個作るのも2個、3個作るのも大した手間が変わらないということに気が付き始めて、孫が作った弁当が今度は、じぃちゃん、ばぁちゃんへ届くことになります。孫が作ってくれた弁当だなんて感動して泣き始めますよ。あとは、父親もよく泣き出しますね(笑)。子どもたちは自分が愛されていることを目の当たりにして、本当に素直な子へと育っていきます。
感動的な場面ですね。「弁当の日」のドキュメンタリーを観させていただいた時にも思ったのですが、食べ物を作るということが琴線に触れるのはなぜなのか。ずっと考えていました。
それは、食べ物で体が出来ているということを人間は本能的に知っているからですよ。親がきちんと自分のために食事を作ってくれた経験のある子どもたちは、非行へのブレーキがかかります。産婦人医師から、中学生、高校生の妊娠している女の子たちは、見事に親の手料理を食べたことがない子がほとんどだという話を聞いたことがあります。化学的なエビデンスというのがなくても、経験値からその言葉は信憑性があると思っています。
親の手料理は、子どもたちの生きるベースになるということですよね。竹下先生のお話を聞いて、環境がいかに大切なのかを考えさせられます。
大人の仕事は、「環境」をつくること。それに尽きると思います。進化論とか、人類の成り立ちというのをずいぶん、学んできましたけれども大切なことは、人間は成長しようというプログラムが最初からできているんだから、子どもに場所を与えてあげることが親とか教育者の仕事だと思っているんです。
そのスイッチを大人たちが、いかに子どもに教えてあげられるかということですね。
私が直接かかわった本が14冊ありますけれども、「子どもを育てる」という表現は一度もしたことがありません。子どもは環境の中で育つものです。育つということは、結局、子どもがあんな風になりたいという憧れを持ってマネをしながら育つのです。人間のシステムとして学びたいという欲求が初めからあるわけですから。あとは大人たちが環境を作ってあげればいいだけです。「弁当の日」は、まさに子供に学びスイッチを与えるための環境なんです。
竹下先生が撮影された子どもたちの表情でも伝わります。というのも「弁当を作る側」と、「見る側」の生徒たちの対比を連続で撮影されていますよね。弁当を作った上級生の得意げな顔と、それを羨ましそうに覗いている下級生たちの豊かな表情が、いま先生がおっしゃられたことのすべてを言い表している気がします。
実は、あの連続5枚の写真を撮るのに14年かかりましたけど、6枚目も撮っているのです。ですが、コロナで横に座らせることが出来なくて、しかもマスクをしていたので、写真は撮ったけれども「ごめんね」っていって使っていないんです。「マスクを外して、横に座れる状況になったら、また撮影に来るからね」って子どもたちには伝えています。それなので、まだ6枚目の写真は、講演でも使っていません。
弁当の日4
竹下先生が撮影された連続の写真
自分の作った弁当を覗かれる5年生(右)と、覗く下級生(左)
弁当の日5
前の写真で覗いていた子が5年生となり(左)、下級生に覗かれている様子(右)
これから連続写真が増えていくことが楽しみですね。将来的に「弁当の日」の活動を通して、竹下先生が思い描く日本の理想の未来は、どのようなものでしょうか?
「弁当の日」をしなくていい未来です。
それは、意外な答えでした。
これは、「弁当の日」の映画監督である安武さんにも問われましてね。「弁当の日」、将来的にどうなって欲しいですか?って。「なくなって欲しい」と答えたんですよ。それは、各家庭が理想的な食卓を作ることが出来るようになっていれば、「弁当の日」がなくなっても大丈夫ですよ、って意味なんですよね。子どもたちが食材や料理を作ってくれる人に感謝の気持ちを持って、自分も社会の中の一役を担うように成長していければ必要ないです。
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竹下先生のインタビューを終えて、教育者とは大前提として大人としての在り方を子どもにきちんと教えることができる存在なのだということを改めて感じた。竹下先生の教え子は、「料理を通して国民を幸せにしたい」という高い志で社会に羽ばたいている子たちが多いという。食の大切さを通して、自分たちの存在意義を知った時、子どもたちは勝手に成長していく力を身につけることができるのだ。食べることは生きること。「弁当の日」は、まさにこのことを体験を通して、子どもたちに教えることが出来る食育の神髄だと思えた。
取材・文/川越光笑(たべごとライター)